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源氏物語と涙

 私が読んだ物語の中で一番切ない物語だと思うのは源氏物語です。

本年は千年紀のようで朝日新聞で特集されていたり色々な場所で源氏の名を聞きます。

私が源氏物語に凝っていたのは小学生から中学生の頃なのですが、話題になっていて、せつなさを思い出したりしたので、源氏のことについて書いてみてます。

ところで、最近流行った切ない系の話というのは「恋空」「世界の中心で愛を叫ぶ」「今会いにゆきます」とかですか?
これらは賛否両論ですが、恋空に至っては切ナイ物語と自分で銘打っているくらいだから、切ない系の話であることは間違いないですね。
で、これらはよく、病気で主人公か主人公の愛する人が死んだりしますよね。
まあそれが悲しいことに変わりはないでしょうが、死ねば悲しいのは当たり前じゃないですか。死ねば忘れられないのは当たり前じゃないですか。文は必要ないんですね。あらすじがあれば十分なんです。


でも源氏物語はちがいます。あらすじはこちらでもお読みください。
あらすじだけ読むと何が面白いの?て思いませんか?なんていうか、普通の人の話。ちょっと幸せな部類の人の物語。
でも、であるがこそ人生ってはかないなぁみたいに思えます。
そして普通の話を面白く読ませる文の素敵さがすごいです。(文の素敵さを語るのに自分はっこんな言葉使いで良いのだろうか)
どの場面が良いとか言えたら良いのですがちょっと書いてみてだめそうなのでやめました。(自分の筆力のなさに絶望)
なんていうか源氏という主人公が身分も高く容姿端麗で何の問題もなさそうなのに悩みもそれなりにあり、静かに老衰で死ぬということが、人は何のために生きているんだろうというような疑問を喚起して、好きです。
それを静かに流麗に語る文も。(ストーリーは現代語で追ったので、文の素晴らしさは、与謝野晶子さんとか円地文子さんとか谷崎潤一郎さんとかのおかげもあるのですが)


『私は洋室をぐるぐると歩きまわり、いま涙を流したらウソだ、いま泣いたらウソだぞ、と自分に言い聞かせて泣くまい泣くまいと努力した。こっそり洋室にのがれて来て、ひとりで泣いて、あっぱれ母親思いの心やさしい息子さん。キザだ。思わせぶりたっぷりじゃないか。そんな安っぽい映画があったぞ。三十四歳にもなって、なんだい、心やさしい修治さんか。甘ったれた芝居はやめろ。いまさら孝行息子でもあるまい。わがまま勝手の検束をやらかしてさ。よせやいだ。泣いたらウソだ。涙はウソだ、と心の中で言いながら懐手(ふところで)して部屋をぐるぐる歩きまわっているのだが、いまにも、嗚咽(おえつ)が出そうになるのだ。』

これ、太宰治の故郷という作品で、母親が死にそうな場面です。
「感動した!」と言葉にしてしまうのと同じような軽さが涙にあるというか。
泣いていたら誰かが慰めてくれる、でも「いやそうじゃなくて」て言いたい時がありますよね。
涙で悲しみを表現できないと分かっているのに、だから涙は邪魔なのにというような感じ。
たぶんそんな感じを上の文に感じて好きです。(”私は”です。文学的に間違ってたらごめんなさい)
源氏物語はもっともっと涙を隠していると思います。心の奥底がちくっとするような。
まあでも登場人物はよく泣くけど。でもそんな小さな涙で大きな悲しみ(生き物であることの悲しみとか無常観?)を描いていると思ってます。


『…言葉が出ない。
これが感動ってやつ??

「嬉しいよぉ~ヒロ~ふぇ~ん…」』←主人公が彼から指輪をもらったシーン

『美嘉は
その場で泣き崩れた。

我慢していた涙が
一気に溢れ出る。』←主人公が流産してしまった時のシーン
『恋空』より

頑張れ現代小説...

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